トップページウィーンの歴史バーベンベルク時代

1997/08/08-2008/01/09

バーベンベルク家

ハプスブルク家が領主になる前のオーストリアの領主。

バーベンベルク家6代目レオポルドⅢ世の息子のうちの一人で、ドイツの歴史の父と言われるオットー・フォン・フライジングによると、バーベンベルクの名はドイツの地名バンベルクからきているらしい。

神聖ローマ皇帝オットーⅡ世によってマジャール族に対する東辺境伯領オーストマルク(オーストリア国名の前身)の領主とされ、976-1246年の270年間12代に渡りオーストリア領主として力を持つ。

バーベンベルク時代にオーストリアの「国名」「おおまかな領地」「国旗」が今のようになり、ウィーンに首都が置かれるようになった。いわばオーストリアの最初の王朝(976-1156年は王位でなく辺境伯/Markgraf、1156-1256年は公爵/Herzog)。バーベンベルク王朝をオーストリアの第一王朝とすれば、ハプスブルクは第二王朝と考えられる。

関連リンク:
中世ウィーンとバーベンベルク家(日)

観光で触れるバーベンベルク時代

10Cメルク修道院開かれる
12C クロスターノイブルクからウィーンへ遷都
   リヒテンシュタイン城建設
   イギリスのリチャード獅子心王 デュルンシュタイン(独)城に幽閉
   直径1キロの環状城壁建設
   シュテファン寺院建設
   ハイリゲンクロイツ僧院建設
関連リンク:
バーベンベルク宮廷と吟遊詩人(日)

バーベンベルク時代の歴史詳細

一般的な観光には不必要ですが、独語も含めインターネットの中にバーベンベルク時代についての詳細が見つからないのでガイド試験用にまとめた資料を公開します。この情報が必要な方は、独語のバーベンベルク関連書籍類をお持ちのハズです。手元の書籍を読むときの大きな助けになることでしょう。利用頂ければ幸いです。(11.Dez.1997公開:高崎守弘)